内的キャリアにこの一冊!

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    キャリアって何? というところから、キャリア開発の目的、組織でどう展開するか、さらにはキャリア・カウンセリングの進め方まで取り上げたもの。人事、キャリア・カウンセラー必携、お買い得。
  • 小野田 博之: 自分のキャリアを自分で考えるワークブック
    就活前の自己分析や、働き出したあともキャリアの節目でどうぞ。自分のことは自分で知ろう!
  • 横山 哲夫: 個立の時代の人材育成
    人事担当者は必読!

Oli-Oliの記

  • 構造の美~エッフェル塔
    OLI OLI ~ ハワイではHappyという言う意味だとか。 「折々(おりおり)」に掛けてみました(おやじギャグなんだから全く・・・)。 街中、山中・・・・歩いて(食べて)気づいたこと、おもしろかったことを取り上げてみました。
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カテゴリー「キャリアとナラティブ」の記事

2017年6月 3日 (土)

海賊王になれるかどうかの前に、やっておくべきこと~「メッセージ」を見て

先日、映画「メッセージ」を見て参りました
大変面白うございました。でも、ちょっと難解。
あなたの人生の物語という小説が原作だそう。
細かく書くとネタバレになってしまいますが、「サピア=ウォーフの仮説」がさらにその素材になっている様子。

では、サピア=ウォーフの仮説とは?
Wikiでは「言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与する」というもの。
平たくいえば、その人が話す言語は、その人の世界観に影響するということ。
もっと平たくいうと、話す言語が違っていると、知覚する世界だけでなく認識さえも変わってくるという感じ?
普通一人称といえば自分ですが、仮に一人称が「何か超越した存在」、二人称が自分、三人称は「自分以外の皆さん」という言語がもしあったとすれば、そういう世界で育つわけで、生まれながらにして神が主たる存在として自分の中に(心とかなんとかというのではなく、存在として)あり、それが自分と対話をして、その結果、自分を動かし/動かされて行動になっていたりする、みたいな感じでしょうか。常に超越した存在があるという前提になりますし、それなくしては自分も他者も存在しないということになります。
また、親子や友人、恋人という概念もないかもしれません。それらはすべて三人称で「自分以外のだれか」ということになってしまいますから。
まぁ、本当のところは分かりませんけどね。
この映画では、これとはまた違った「言語」の設定になっています。

こうした言語についての考え方を言語相対性仮説ともいうそうです。
ちなみにサピアはドイツ生まれの言語学者、イェール大学で教鞭を執った頃にウォーフがその元で学んだという師弟関係なのだとか。
これとは逆に、もともと概念というかそういうものが人間には備わっているのであって、それがさらに生得的に持つルール(文法)の上で言語となっていくのである、という考え方もあります(生成文法?)。

それにしてもこの、言語が世界観を形成するというのはとても興味深い話ですよね。

で、どうしても話はキャリア開発に結びつけてしまうのですが・・・「キャリアゴール」の話。
キャリア開発というとゴールを設定して、そこに向けてどう取り組んでいくのか、という話になりがちですが、これって、そんなに簡単な話ではないです。
そもそも、ゴールに設定できるものは、自分の知っている範囲のものでしかありません。
麦わら帽子をかぶった例の少年も、海賊王と「ひとつなぎの大秘宝」のことを知ったから「海賊王になる」というのであって(いや、も少し複雑ですけど)、海賊王の話を知らなければ、そうはなろうとは思わなかったはずです。
宇宙に人が行くようになるまでは(あるいはそういう概念が登場するまでは)、宇宙飛行士という職業もないので、それをキャリアゴールにする人もいないという。「宇宙に行きた~い」くらいまではあるけれど。

その意味では、かつてこのブログにも書きましたが、小さい子供や小学生たちに「大きくなったらなんになりたい?」と聞くのって、もともと無理筋な話。
さらにその範囲で決めた「じゃぁわたし〇〇になる」とかいって、それに向けて頑張りはじめのって、もしかしたら可能性をつんじゃうことになっているかもしれないわけです。
あぁ怖い。聞く人は分かって聞いているのでしょうか?
そこのお父さん、「私お父さんのお嫁さんになる!」って言われて喜んでいる時ではないかもしれませんよ!

さらに時節柄キャリア開発ワークショップ・CDWの話にどうしても結びついてしまいますが、このワークショップではキャリアゴールの設定、そしてアクションプランの作成まですることになっています。
だからこそ、2泊3日の時間がかかるのですけれど、じつは、キャリアゴールとアクションプランは不可欠だとは、私は思っていません。
プロセスとして設定はしていますが、「この部分はクリアにできなかった」というのであっても良いと思うのです。
ゴールやアクションプランがはっきりしていると、そのあとは自信を持って進められますし、やることがはっきりしているので効率も良いです。
でも、はっきりしないとだめなのか、というとそうではなく、しばらく温めておくとか、もう少し模索してみる、でもよいと思うのです。
良い頃合いまで温まった、模索していたら見えてきた、という時期が来たときに、CDWでやってみたキャリアゴール設定、アクションプラン作成の経験を思い出して、その時に改めてやれば良いのです。

ところで、冒頭でふれた「メッセージ」ですが、この世界だとキャリアゴールは多分必要ではありませんね。
なぜか? それはぜひ映画を見てみて下さい。

2014年3月28日 (金)

物語のループ

自分のキャリアを考えるために、自分の内的キャリアを理解するために、「語り」はとても有効な方法だと思います。
何らかの方法を用いて、つまりカードを用いたり、あるいはインタビューを通じて、自分のことを語ると、気づいていなかった自分自身のことに気づくことが多々あります。
また、そうして語った内容については、自分の言葉で語っただけに納得感はとても深いものがあります。
これまでのキャリアを語ることで、これからのキャリアが見えてくるようにも思います。
このあたり、目下研究中です。

ただ、少々怖さも感じているのです。
それは、語ることで自己理解が深まっていくように思うのですが、それが自分で自分を承認する無限ループに陥ってしまう危険性もあるような気がするのです。
さらに踏み込んで言えば、自分の語りに縛られてしまうことさえありうるのではないかと。
予言の自己成就のような。

このあたり、語りを受け止める人、引き出す人の力量、あり方によるところも多そうです。

2012年6月12日 (火)

書いて考えることの意味

「ナラティブ分析の挑戦~アイデンティティ研究への一視点」という講演会に参加してきました。講演したのはクラーク大学のマイケル・バンバーグ教授。ナラティブ研究の学術誌であるNarrative Inquiryの主宰を長く務めた方です。
残念ながら(?)講演は英語でしたので、詳細なニュアンスは分からないのですが、司会をされた東京大学の能智正博先生が途中途中でそこまでの概略をまとめてくださったので、少なくともその部分だけは理解することができました(英語、できないとだめですねぇ・・)

いくつも得るところはあったのですが、講演後のディスカッションの中で、東京農業大学の鈴木聡志先生の問いかけに答える形で版バーグ博士が指摘された、「書くということは、あたかもサインをすることで自分であることを証明するがごとく、そのことで内省が深まり自分自身を確認することにつながるだろう。インタビューによるナラティブ分析は、話しては次は何を話そうかと考えるという点でプランニングの要素が入りがちになることと対比できる」といった趣旨のことをおっしゃっていた点は、日本キャリアカウンセリング研究会(JCC)が主催しているキャリア開発ワークショップ/CDWに通じるものを感じました。
やはり、書く、という作業には話すこととは別の意味があるのですし、自分の手で書くということにもそれ相応の意味があるといってよいでしょう。

2012年6月 9日 (土)

社会的認知理論とストーリーと専業主婦

組織風土が個人のキャリア上のストーリー形成に影響しそう、ということを昨日は記したわけですが、これは、組織の無言の圧力ともいえますし、個人が組織の中で”その組織において適切とされる行動、考え方”を学習したともいえます。後者であればこれは社会的認知理論(社会的学習理論)で説明できるということになります。
つまりモデリング学習によって獲得されるストーリーも少なくないということで、当然、組織内のことだけでなくて、社会でのできごと、影響もその学習対象となるわけです。親を含む家族、近所の人たち、そしてマスコミを通じてもたらされる「編集された事実」、それらがストーリーの形成に関わっていることが多いということ。

ごく当たり前と思っていることも、その時代においてのいわば「流行」であることも少なくないわけです。学生の方々の就職動向に、それを見ることはできますね。
このあたり、別件で検討しなければいけなくなっている「専業主婦というキャリア」にも関わってきます。というのは専業主婦という働き方(生き方)は、あたかもそれが日本の女性のキャリアモデル(それこそドミナントなストーリー)であるかのように示されていますが、戦後になってからのことなはず(このことは裏付け調査が必要と思っています)。いつの間に、モデルとなったのでしょうか? 育児や看取りにしても同じ。両親が育てる、子どもが看取る、そうしたことが当たり前のようにいわれていますが、本当に当たり前? そういうストーリーを知らず知らずのうちに獲得してしまっているということはありませんか? そしてそうなっていないことに不全感を感じていたりして・・・

専業主婦という働き方、生き方や、育児、看取りのあり方を否定しているわけではありません。ただ、意識して選択した結果なのかどうか、がポイントではないかと思うわけです(むろん、ある種の安定した社会(統制された社会ともいう)という観点からみると、構成員が同じストーリーを持っていることが好都合なわけで・・・。しかもそれって怖い社会な感じなわけで・・・)。

追記
改めて調べてみるとcareerとnarrativeはすこぶる相性がよろしいようで、日本語をはじめ英語でも数々の言及がなされていますね。関心の高さを感じると同時に、もっと研究されその成果が公開されるとよろしいのにと思います(質的研究にならざるを得ないので、なかなか発表されるまでに至らないのでしょうか・・・)。というわけで遅ればせながら取り組んでいるわけです。

2012年6月 8日 (金)

ストーリー形成に影響するもの

自分のストーリー(今はまだ概念整理しきれていないので、ストーリーと物語とナラティブの言い分けはあまり意識的にできていません)は、自分がつくるものなのですが、そこには自分のものとは言い切れない多様な要素が反映します。

その一つが、所属する組織、職場の持つ文化です。
「ようは結果だ、結果の出せないものに、意味はない」といった文化の組織に長くいれば、そうした傾向がストーリーにも反映されるでしょう。ポジティブな面でもネガティブな面でも。
「お客さまに貢献した結果、こんなに売上が伸びた。これが自分にとって働きがいだ」
ということもあるでしょうし
「気に入らないあの上司は二言目には結果を出せといっていう。自分はそういう短絡的な考え方にも腹が立つ。数字は結果としてついてくるのだ。数字そのものよりもそこに至る道筋こそが大切だ」
ということもあるでしょう。

問題なのは、これがあたかも不変の価値観であるかのように感じたり、無自覚にそのまま飲み込んでしまうこと。
結果的に自分のキャリアを生きているのではなく、会社がしいた価値観のレールの上を進んでいくことになってしまいはしないだろうか。あるいは無自覚に強要してはいないだろうか。

大切なのは、当然のことながら自分で気づいているということですね。

2012年6月 7日 (木)

これまでにやりがいを感じたとき~ストーリーのパターン

先日、やりがいや働きがいを感じたときの経験を分析することについて、その意味や留意点について述べました。
分析をしていて思うのは、やはりそこには一つのパターンがあるのではないかということです。テーマではありません。パターンです。たとえば「自分の専門性が十分に評価されたとき」というようなテーマに着目したのが前回だとすれば、それとは別にそういう場面に至る、あるいは場面を構成するパターンがあるように思います。

「いろいろ苦労した。考えに考え抜いた。そうするとあるとき、ふとひらめいたんだよ」
とか
「人が選ばない方、苦労しそうな方を選んでいくと、そこに、これだ!!と思うようなものが転がっているんだよ」
とか。

このパターンとはストーリーの展開の仕方ともいうことができるでしょう。
そしてその多くは、キャンベルが「神話の力」で指摘しているような、「行って帰る」物語。

あなたはどこに、何を求めて出かけ、何を得て、どのようにして帰ってきたのでしょうか?

2012年6月 6日 (水)

やりがいのあった仕事~自分の物語に気づく

JCC(日本キャリアカウンセリング研究会)が実施しているキャリア開発ワークショップ/CDWをはじめ、多くのキャリアに関わるワークショップ(あるいは研修)では、これまでの仕事についての棚卸しをすることが多いと思います。
その目的は、自分の職務経歴を書き出して何ができて何ができないかを探索するものや、自分にとって重要だと思えることは何かを考えてみることなど、いろいろとあります。それはそのワークショップ(研修)の設計者の意図によって異なるといえるでしょう。

一つ留意しておきたいのは、ここでリストアップされる経験はすべてのものとは限らないし、その見方、とらえ方はその人なりのものだし、だからこそ不変のものではないということではないでしょうか。

たとえば職務経歴にしても、どこの会社のどんな部署にいたかまではかなり客観的にかけると思いますが、どんな業務を担当したか、ということになると、そこには本人の意識的あるいは無意識の取捨選択が影響します。そこに記載される業務もあれば、記載されないものもあるからです。そもそも事細かくまでは覚えていられませんからね。
記憶に残る業務、あるいは思い出した業務と、記憶から外された、あるいは思い出されなかった、もしかすると思い出したけれど敢えて記載しなかった業務の間にはその人なりの判断が影響しているわけです。

さらにその経験をどのように解釈するかということになると、もっと本人の価値観や考え方が反映されることになります。同じ業務でも面白いと思える人と、つまらないと思う人がいるからです。しかもその基準は時とともに移ろっていきます。かつては思い出すのも嫌だった仕事が、しばらく時を経てみると、それはそれでいい経験だったと思うこともあるからです。

このように考えるとき、これまでの仕事について振り返るとき、私たちは自分なりの物語を持って振り返っているともいえるでしょう。
ただ、それを自覚しているか、自覚していないかの違いはあります。

そして、自覚している場合、その物語にあった出来事を選択している可能性が高いことにも注目しておかなければなりません。「不都合な真実」という本がありましたが、「不都合な事実」には目を向けず、「都合のよい事実」だけをピックアップしているかもしれません。
このことに自分自身で気づくことが難しいのはいうまでもありません。なぜならそのように取捨選択していることそのものに気づいていないからです。
キャリアカウンセラーをはじめとして、人に相談してみることの意味はここにあります。自分とは違った視点で見てもらうことでそのほかの選択肢、そのほかの物語を見出すことができます。あるいは自分で話しているうちに、気づくことも少なくありません。

2012年6月 4日 (月)

内的キャリアとナラティブ

このブログを始め、さまざまなところで内的キャリアについての理解、自覚をすることがキャリア開発にとってよい方に寄与するということを説明してきました。
そうこうしているうちに、自分にとっての内的キャリア自覚が高まるということは、自分にとっての働くうえで、あるいは生きていくうえで重視したいとことを、自分の言葉で表現することだという結論に至っています。はたかちカードなどはそのために有力なツールですし、キャリアアンカーはある意味ではそうした物語のカテゴリーともいえるかもしません。

こうした物語を作るということは、自分なりのナラティブを紡ぎ出すということでもあろうと思います。そのように考えると、キャリア自覚とは自分の納得のいくナラティブを得ることともいえますし、キャリアカウンセリングとは、そうしてできあがったナラティブのなかで、実態として不都合な状況になったとき、オルタナティブなストーリーを得ることを支援する活動ともいえるでしょう。

また、キャリア開発ワークショップ/CDWのオリエンテーションで、社会の物差しではなく自分の物差しを持つということを説明しますが、これも社会の持つ、あるいは社会から半ば押しつけられているストーリーではなく自分なりのストーリーを持つということをいっているといえるでしょう。

キャリアを考えることとナラティブ、そしてその方法としてのカウンセリングやグループワークがこれからのテーマになってきそう、そんな感じがしています。そのためにはナラティブアプローチに関する理解を深める必要があろうかと思っています。
また、自分なりのナラティブを紡ぎ出せないからこそ困っているという状況も少なくありませんから、そうしたことについて自己理解を深めるための方法論も検討しておく必要があろうかと思っています。
このBlogでもときどき報告できればと思います。
「キャリア開発ナラティブワークショップ」・・・そんな構想も抱いています。
とりあえず現時点での考えを表明してみました。

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