内的キャリアにこの一冊!

  • 横山哲夫・今野能志ほか: キャリア開発/キャリア・カウンセリング
    キャリアって何? というところから、キャリア開発の目的、組織でどう展開するか、さらにはキャリア・カウンセリングの進め方まで取り上げたもの。人事、キャリア・カウンセラー必携、お買い得。
  • 小野田 博之: 自分のキャリアを自分で考えるワークブック
    就活前の自己分析や、働き出したあともキャリアの節目でどうぞ。自分のことは自分で知ろう!
  • 横山 哲夫: 個立の時代の人材育成
    人事担当者は必読!

Oli-Oliの記

  • 構造の美~エッフェル塔
    OLI OLI ~ ハワイではHappyという言う意味だとか。 「折々(おりおり)」に掛けてみました(おやじギャグなんだから全く・・・)。 街中、山中・・・・歩いて(食べて)気づいたこと、おもしろかったことを取り上げてみました。
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カテゴリー「キャリアとはなにか」の記事

2014年11月23日 (日)

キャリアを考えるということ(自分へのメモ)

キャリアを考えるということ、という自分の昨日のメモについていえること
キャリアを考えるから幸せになれたりするのではなくて

自分なりに、あぁよい人生だったな、
と思いながら生涯を閉じよう
とするならば
キャリアを考えていた方が、
そう思える確率は高くなる

ということではないか。

自分なりに良い人生だったと思うなら、その「良いかどうか」を判断する基準が必要。
というか、生涯を閉じる寸前にわかったのでは、ちょっと後の祭りになりそう

とはいえ、それは本当に生涯を閉じる寸前になるまで変わるかもしれない
アドラー先生のおっしゃるように、人間は死ぬ数分前まで(だっけ?)成長するのだから

ということで、確率が高くなる程度、必ずそうなるとは言えない。

そんな曖昧なことには付き合えないよ、といわれるとそりゃそうだ、というしかない。
でも、そんな曖昧なことでもしておいたほうが良いんじゃないの?

それに、そうした判断基準がないと、毎日の生活の中で判断に困りそう。
それは、今日飲みに行くかどうかということから、
今度の国政選挙ではだれに投票するかということから、
原発についてどう判断するかということから、
ありとあらゆるころまで。

そんなの、自分で判断しなくても誰かが決めてくれるでしょう。
むしろ飲みに行くかどうか以外は自分では決められないよね。
そう考えてしまうと、確率はますます低くなるように思うのだけれど・・・

キャリアを考えるということ

キャリア、なにそれ? 勝ち組?
CDP=教育体系?
という時代から会社勤めを始めているので、なにかとキャリア教育だとかキャリア研修だとかというのにお目にかかる昨今、少々食傷気味であることは確か。
みんなが言いだすと、もういいかな~とか思ってしまう天邪鬼な性格だし。

でも、なんか違う。
キャリア=どうやって成功するか、
ハッピーな人生をおくろう
とか言われると、たちまち胡散臭く思ってしまう。
やはり天邪鬼なのか?

リフレーミングだとか、ポジティブシンキングだとか、それはそれで大切なんだけど、何かが忘れていかれているような気がする。
この違和感はいったいどこから来るのか。


パブロ・カザルス:奇跡の旋律 (「知の再発見」双書164)


この本を読んだからか?
社会や世界の中での自分、という視点なしにキャリアを考える
それでは、ミーイズムではないかという指摘に答えられていないのではないか?

なんか分かりにくいけど

2014年4月 4日 (金)

「キャリアははしごではなくジャングルジム」というフレーズは秀逸

FacebookのCOO(最高執行責任者)シェリル・サンドバーグさんが、2012年にハーバードビジネススクールで行った卒業スピーチが興味深いです。
http://www.huffingtonpost.jp/logmi/facebook-coo_b_5062470.html

なかでも、「キャリアははしごではなくジャングルジムね」というフレーズ。

さらにそれに続けて、
常にチャンスを探してください。成長、影響、そして自分のミッションを探すのです。横に動くこともあれば、上に上がったり下に下がったり。レジュメ の見た目を良くするのではなく、スキルを積んでください! 自分の役職ではなく、自分には何ができるかをきちんと見極めて。色々な仕事をしてみてくださ い。計画はあまり立てすぎずに。そしてすぐに自分の仕事への見返りを求めない。もし私が卒業時に完璧なプランを立てていたら、今の私はなかったでしょう。

留意したいのは、必ずしも上への移動だけがよいわけではないということ。横へ、あるいは場合によっては下への移動もあるわけです。
「上が積んでいて昇進できない」
「あの上司の下では・・・」
いろんな障害はあるでしょう。
そうであれば、一旦下がって横に移動していく手もあるわけです。

そして「レジュメの見た目をよくするのではなく」というところ。
レジュメ=職務経歴書=外的キャリアへのこだわりは必ずしも自分にとっての成功には結びつきません。
やってみないと分からないことは数あるわけで、当初は考えつきもしなかった面白さに出会う仕事もあるでしょうし、逆に期待した割には全然つまらない仕事というのもあるのです。

「すぐに自分の仕事への見返りを求め」すぎては、そうした面白さをつかみ損ねてしまうことも少なくありません。

目先に囚われない、短期で考えすぎない-そういわれると、では一体何を基準にいつ判断すればよいのか?ということになるでしょう。
そこで注視したいのは「内的キャリア」です。
自分自身にとっての、働き、生きていく意味、あるいは関心、そして発揮できる自分の持ち味。そうしたものが自分なりに分かっていれば、それがジャイロスコープとなって、指針となるでしょう。
ではどうやってそれを知るのか?
いろいろ方法はあるでしょうけれど、やはりCDWですよ。

2014年3月30日 (日)

節目

人生にはいろいろな節目があります。
節目、ターニングポイントともいえるでしょう。
あらかじめ分かっているものもあれば、まさにその時に気づくものもあるでしょうし、過ぎ去ってから思い超してみればあれがそうだったのかもというものもあるでしょう。
特にこの時期、3月末から4月にかけてというのは、多くの人が節目を迎えるのではないかと思いますし、その多くはあらかじめ分かっているものも多々あるでしょう。進学、進級、就職など、この時期は目白押しですし、公共機関をはじめ多くのところが定期異動を行いますからね。

うちもその中の一つとして、子供が進学し、それを機会に一人暮らしを始めることとなりました。
家族構成としては大きな変化です。
人数が少なくなるというだけではなく、約20年ぶりに夫婦だけの生活になるからです。
良くも悪くも子供が中心にいた生活、子供のことを考慮せずには決められなかった生活から、二人で大方のことを決めてよい、決めなければならない生活へと変わっていきます。
「新婚時代に戻ったようでいいですね」と仰ってくれる人もいますが、新婚時代というのがほとんどなかったので、人生においては初めての経験に近いです。

ただ、こうなるかもしれないということは、結婚した頃から、というよりはむしろ、20代の終わり頃に自分のキャリア開発を考えるワークショップ(CDW)に出たときから分かっていたこと。だから決して慌てるようなことはないんです。あぁ、やってきたか、という感じ。淡々と迎えているといいますか、冒頭でいえば「あらかじめ分かっているもの」なのです。
とはいえ、全てがわかりきっているわけでもなく、やってみなければ分からないところも多いわけで、そういう意味で、どきどきしながら迎える、20年ぶりの春なのです。

2012年4月16日 (月)

キャリア開発の底に流れるもの

人事に関わる人であれば多分読んでいるであろう「労政時報」。よい資料ですよね。
第3819号(4月13日発行)はキャリア開発推進事例の特集です。
いわば先進事例にあたるわけでしょうから、ここに挙げられているのが一般的というわけではなく、むしろレアケースであろうということは分かるのですが、それでもここまで来たか~という感は拭えません。会社が一方的に、お為ごかしに社員のキャリア開発を考えて挙げる(本当は押しつけている)時代が長かった(むろん、考えもしなかった会社がもっと多く、その時代がもっと長かった)ことを考えると、本当に進んできたなと思います。
それぞれの会社にそれぞれの事情があり、それを反映した制度となっているのですが、ポイントの一つは「個人」にフォーカスを当てているところでしょう。まず、個人が自分のキャリアを考える必要があると。いずれの担当者も、担当になって初めて(改めて)そのことの重要性に気づいたということですから、その浸透にはまだまだ時間がかかるのでしょうけれども、それでもそうしたことが前面に打ち出され、それをサポートする施策が動いているというのは大切なことです。

ただ、よけいな心配をするならば、それでもまだ個人の自己決定性にコミットしきれていないところがある点です。
極論を言えば自分のキャリアなど考えたくないという人をどうするのか?ということでもあります。
この点についてどうしても考えさせるように仕向けるというスタンスが感じられます。でも、それって本当にそれで良いのでしょうか? 機会を提供したのに「考えたくない」という意思決定をするのであれば、それも尊重すべきではないかとも思います。そのことについての結果責任を引き受けてもらうという前提であれば、それはそれで良いのではないでしょうか?
むろん、いつでも「やっぱり考えてみます」「考えた結果こうしたいと思います」ということにはいつでも応じるのです。そういう対応はするとしても、考えないということも尊重してあげたいようにおもうのです。

2011年10月 6日 (木)

本が出ます‥

長年の懸案だった本がようやく発行となります。10月24日の週には市場に現れる予定・・楽しみ、楽しみ。
今回もキャリア開発をテーマとした本です。
2004年に出版された「キャリア開発/キャリアカウンセリング」(横山哲夫さんや今野能志さんと共著させていただきました)の続編ともいえるものです。

この本の巻末に取り上げられたキャリア開発を考えるための24の図「組織と仕事と人と心と」をもっと詳細に、自分のキャリアを考えるための手がかりとできるようにはできないか? そうだ、24の図を巡るような、いくつかの図を重ね合わせて自分のキャリアを考える旅のガイドブックのようなものはできないだろうか、というのが発端です。もう6年ほど前になりましょうか?
 このアイデアを現実のものとするために、今回「サポーターズ」としてコラムを執筆された方々と何度も集まり、あぁでもない、こうでもないと議論してできあがりました。

 「組織と仕事と人と心と」というのは24種類の図をまとめら参考図集です。「キャリア」をいったいどのようにとらえればよいのか、内的キャリアとは何か、組織と個人の関係は? そこにキャリア開発やMBO(目標による管理)がどう関わるのか、どう関わらないといけないのか‥キャリア開発を取り巻くさまざまな論点について、言葉ではなく図で説明しているとてもユニークなものです。

 ユニークなのですけれど、図であるがために解説がありません。これまではキャリア開発ワークショップ/CDWの中で取り上げたり、作図者である横山さんや今野さんがセミナーなどで紹介していたので、それに参加するしかありませんでした。せっかくですのでより多くの人が自分のキャリアを考えるのに使っていただきたいとかんがえ、こうして解説書をつくったわけです。ただ解説が書いてあるだけではつまらないので、たとえばキャリアカウンセリングの場面での利用例なども載せてみました。これまでにない本に仕上がったのではないかと思います。

 う~ん、それにしても長かった。

2011年2月 8日 (火)

キャリア教育について、一言だけ

教育というのは、「考える力」を身に着けることだと思うのですよ。
考える力がついたかどうかを確認するために、時々テストをしたりするわけです。
また、その考えの筋道を習得しているかどうかを確認するために答え合わせをするわけです。この時、答えが合っているかどうかは大切です。だって、考え方の一つとして伝えたものが伝わっているかどうかを確認しないといけないですからね。そのために答えはあるわけですよ。
当然、考え方というのは一通りではないわけで、方法論はいくつもあります。
また、ものによっては答えも色々あるということもありうるわけです。
で、それはそれでよいはずです。
大切なのは「考え方」を身に着けること。
できれば、適切な答えが出てくるような。
(誰にとって適切かという問題もありますがね)
ここまで、よい?

とするとデスね、キャリア教育というのは
「キャリアの考え方」を教えるわけですよね。
こういう風になりなさい、とか
こういうゴールを目指しなさい、とかというのを
教えるわけではないわけでしょう。

なのに、なぜか、ゴールを指し示しちゃう人が居るのはなんで?
さすがに「公務員デス」みたいにストレートなのは少なくなりましたが、
「こういう生き方が幸せな生き方です」的なものを示すのも、答えを一方的に示していることになりはしませんか?
それを考えることができるようにしてあげるのが、
本人にとって幸せとは何かを考えられるようにしてあげるのが、
教育なんじゃないのでしょうか?

ただ、考え方は伝える必要があるわけで
例えば本を読んだ方がいいよとか、
世の中の仕組みはこうなっているよとか、
自分が自分らしく生きたいと思うなら、他者がその人らしく生きようとすることを認める必要があるし、そのためにはお互いがきちんと理解し合っていないとねとか、
そのためにはコミュニケーションをする力ってやっぱあったほうが良いよねとか‥‥。
キャリア教育ではそういうのを伝えてくれているんでしょうか?

そもそもキャリア教育をする人は、
そういうことをきちんと考えてから取り組んでいるでしょうか?
どうなんだろう?

2010年10月20日 (水)

キャリアという言葉に巡り会わない人にキャリア開発を

『キャリア』という言葉に巡り会った方は、それこそググったり、そういう言葉が載っている雑誌やサイトに眼が反応するので、ますます詳しくなるわけですが、そんな言葉を知らない方は接する機会がないままということになるのですね。当たり前の話ですけれど。
知らなくちゃいけない、知っていなければならない、ということをいいたいわけではないのですけれども、逢ひみての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけりでありまして(ちょっと違うけど)、なんだそういうことだったらと思うことが少なくなかったので、まぁお邪魔にならない程度にはお伝えしてみてもよいのではないかと思うわけです(何と回りくどい言い方)。

ではどうすればキャリアという言葉に巡り会っていない方にお届けするんでしょうか? このキャリアという言葉とそれにまつわる概念。
普段使用している語彙の中には入っていないわけですから、普段使いの言葉に置き換えるということが必要でしょう。どんな言葉の世界に住んでいらっしゃるのでしょうねぇ‥‥。
どんな言い方をすれば、「!」ということになるのでしょうか?
今度、全然違うテーマで研修をすることがあるので、そのときのサブテーマとして持ち出してみよう、そんなことも考えております。当然メーンのテーマである「コミュニケーションってなに?」というところはしっかりやるのですけれど、その題材としてキャリアに関わることを取り上げてみようかと。さて、いかがなりますことでしょう。

追記
もう一つ、キャリアあるいはキャリア開発という言葉の頻度もあるかと思うんですよ。頻発していれば眼にする機会も増えるわけです。一斉につぶやいてみてはどうでしょう?(それはそれで、恐いかも‥‥)

2008年5月29日 (木)

キャリア開発とトランスパーソナル その4~ジコチュウ的自己実現?

<4.ジコチュウ的自己実現>

あまり「自己実現」ばかりいっていると、「ありたい自分」に囚われすぎてしまうのではないかと心配したりもします。ありたい自分というものにあまりに囚われすぎて、いつでも自分が主役であろうとしすぎると、うまく他者と共生できなくなってしまう可能性があります[1]。

極端なお話をすれば、世の中を変えることをゴールとしてしまった場合、置き換わった「世の中」は当人にとっては理屈の通った、理想的な世の中となるかもしれませんが、周りの人にとっては迷惑千万な話であることもあり得ますし、その方法論の部分で賛同できないということもあるでしょう[2]。こうなってくると自分が納得できるかどうかという視点だけでは不十分であり、そこに個人を超えた価値観というか、判断基準のようなものが必要になってくるのではないかと思います。

職業社会学者の尾高邦雄先生は4つの職業倫理ということを言っています。職業倫理ですから、仕事をしていく上で迷った際の判断基準となるわけですが、それには「国家本位の職業倫理」「職場本位の職業倫理」「自己本位の職業倫理」「仕事本位の職業倫理」があるとしています。国家本位の職業倫理とは、全体社会の存続と発展、あるいは公共の福祉の向上に結びつくかどうかが仕事を進めていく上での判断基準になるという考え方です。「職場本位」では、職場の安定やメンバーを守ることが基準になるでしょうし、「自己本位」であれば自分のためになるかどうかということになります。「仕事本位」とは、自分が属する社会や集団のためでもなく、自分自身のためでもなく、仕事そのもののために献身し、仕事のルールに従って、いやがうえにも完璧な成果、いやがうえにも独創的な業績をあげようとすることをいいます。

この職業倫理という観点から見ると、最近起こっている事柄に何かと解説を付けることが出来そうです。例えば食品偽装問題。外部の人間から見たら、なんでそんなことをいつまでもしていたのだろうかと思えるようなことでも、「その職場」本位の職業倫理を持つ人であれば、職場を守りたいがゆえに多少とも消費者をごまかすことも職業倫理には反しないということになります。この意味では職場本位の職業倫理とはその職場の風土と言い換えることも出来るでしょう。

またそういうことは、仕事本位の職業倫理で動く人にとっては、「プロとしての意識にかける行為であり、断じて許せない」と映るでしょう。ただそうした人も一方ではユーザーのことはあまり考えずに機能ばかりを追求した商品開発をしてしまうエンジニアや、法理的には正しいが一般社会人の感情・常識とはかけ離れた判決を下す法曹であったりもします。

ところでこの職業倫理という考え方を借りるなら、第五の職業倫理として「トランスパーソナル」という観点が必要なのではないかと思うのです。「個を超えた存在から考えたときに、適切といって良いのか」という「トランスパーソナルな職業倫理」です。「ありたい自分」-それはそのまま目指そうとする自己像であってよいのか、ということの判断基準として有用なのではないでしょうか?

<おわりに> キャリア開発とは仕事人生上のありたい自分であろうとすることと言えますが、そこにトランスパーソナルという発想を持ちこんでみるとき、実現しようとしている自己はプレパーソナルな段階にいるのか、パーソナルな段階にいるのかによって異なってくるのではないか。またもう一つの観点として、実現しようとしている自己像が、トランスパーソナルな観点から見たときにどうなのかということも必要なのではないか-そのようなことを述べてみました。 


[1] その意味ではCDW(キャリア開発ワークショップ)では定番の「主役・傍役・お互いさま」という考え方の奥深さが、本当に身に染みて分かります。

[2] DEATH NOTEの 夜神月なんかその特徴的なケースではないでしょうか

2008年5月28日 (水)

キャリア開発とトランスパーソナル その3~自己実現の向こうに自己がある?

<3.自己実現の向こうに自己がある?>

とはいえ、自己実現欲求はそれが満たされるとより高い満足感を求めようとする際限のないものだそうですから、「おぉ、これぞ私の(他者の目を気にしているとしても)成し遂げようとしていたことだ!! はっはっは~」と思った途端に、「でもこれだけ出来るんだったらもっと上手に出来るかもしれない」とか思ってさらに高いレベルの自己像を思い浮かべるようになるのかもしれません。そうこうしているうちに、比較対照している自己像は自分の作った自己像ですから、他者ではなく自分自身に「これでいいんだろうか」と尋ねるようになり、他者からどう見られるかというよりも自分で納得できるかどうかということになるのかもしれません。

実際、いろいろな人の話を聞いていると、成長し、あるステージにいたって初めて見えてくる課題というのがあるようです。金井壽宏先生流にいえば「一皮向ける体験をして初めて見えてくるもの」とでもいいましょうか。

喩えとしては適切ではないかもしれませんが、新幹線はますます高速化し、最も新しいN700系ではJR西日本が開発した500系並の最高速度300キロの能力を持ち、かつ線形の悪い東海道区間でも270キロ走行を可能にするほどに進歩してきています。しかし、これにも限界というものがあるそうで、ある一定の速度以上になると車輪の回転速度を上げても線路から軽く浮いた状態になって空転するだけになってしまうそうで、高速化のためにはどちらかというと邪魔者であった「摩擦」が、車輪と線路の間に存在しなくてはならなくなるそうです。つまりあるレベルを超えると問題の質が変わるわけです。

一部マニア向けではなく、もう少し一般的な事例で登山になぞらえてみましょう。山道を一生懸命に登っているときは、木々の合間から山頂がこぼれ見えるものの、今自分がどこら辺を登っているかはあまり分かりません。しかし、ちょっとした頂にまで来ると、急に視界が開け、今いる位置が分かるとともに、さらにその先の登ろうとしていた山がどどーんと見えてくるというような感じでしょう。このようなある種のパラダイムシフトというか、発想を超えるというか、そんな感じのことが、自己実現を成し遂げようとしつつあるときに浮かび上がってきて、「やった~と思ったのに! う~ん、まだまだこれからか・・・」と思ったりするんではないでしょうか?

それでいえば、先の若者も、いざ目標に到達というときになったら、まだ足りないとか、本当に目指したかったのはもっと高いレベルだったとかが分かるのであって、今から「そんなことで自己実現だなんて・・・」と目くじら立てていうことではないのかもしれません。「うんうん、頑張ろうね。でもね、まずは自律した個人になろうね~」と心の中で応援するというのがオトナの(?)スタンスなのかもしれません。

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