内的キャリアにこの一冊!

  • 横山哲夫・今野能志ほか: キャリア開発/キャリア・カウンセリング
    キャリアって何? というところから、キャリア開発の目的、組織でどう展開するか、さらにはキャリア・カウンセリングの進め方まで取り上げたもの。人事、キャリア・カウンセラー必携、お買い得。
  • 小野田 博之: 自分のキャリアを自分で考えるワークブック
    就活前の自己分析や、働き出したあともキャリアの節目でどうぞ。自分のことは自分で知ろう!
  • 横山 哲夫: 個立の時代の人材育成
    人事担当者は必読!

Oli-Oliの記

  • 構造の美~エッフェル塔
    OLI OLI ~ ハワイではHappyという言う意味だとか。 「折々(おりおり)」に掛けてみました(おやじギャグなんだから全く・・・)。 街中、山中・・・・歩いて(食べて)気づいたこと、おもしろかったことを取り上げてみました。
無料ブログはココログ

« 「心のノート」にみる働くということ | トップページ | 教育の費用対効果 »

2007年11月16日 (金)

働く欲求階層説? (心のノート続編)

A.H.マズローの欲求階層説-有名ですね。人間の欲求は大きくは「生理的欲求」「安全・安定の欲求」「愛と帰属の欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」に分類され、かつ、これらが順々に、ある程度満たされると次の欲求が優位になるのではないか、というものですね。

そんなこと証明されているわけではない! という方もいらっしゃいますが、なるほどねぇと思うところも多々あり、です。

このそれぞれの欲求と「働く」ということを結びつけて考えてみるとどうなんでしょう?

「何のために働くのか?」

生理的欲求からみた働くことの意味というか目的は、文字通り食って、生きていくためということでしょうね。捕食行動に近い意味での食っていくため。

一方で、「食っていくために働いているんだよぅ」という場合は、単に当面の飢餓をどう乗り越えるかということではなくて、食うや食わずではなくてある程度生活を安定させたいということを意味しているのでしょうから、安全・安定欲求からみた、つまり安全・安定欲求を満たすための「働く」ということになるのではないでしょうか?

こうした欲求がある程度満たされると愛と帰属の欲求、または社会的欲求というものが優位になってくるわけですね。これは単にお金のために働くということではなく、尾高邦雄らが指摘しているような社会との関わりという意味が加わるのでしょう。

働くことで自分と社会とが結びついていることを確認しようということ、つまり働いたことが社会に何らかの影響、インパクトをもたらすとか、社会の役に立っているという意味で、自分はその一員であるということを確認できる(所属意識を持てる)ということ。社会という大きな枠組みではなくて、ある組織(一般的には勤務先)での所属意識を持てるということも意味するでしょう。一体感や所属意識を感じていたいというのが目的ともいえるのではないでしょうか?

そうこうしていると、ただ所属しているだけではなくて、そんな中でも自分の存在感を認めて欲しい、存在感を感じていたいと思うようになりますねぇ。それが「自我欲求(あるいは自尊の欲求、承認欲求)」の表れといえるでしょう。食べていくとはできるし、ひとりぼっちではないということが分かっていても、やりきれなさを感じたり、寂しさを感じたりするのは、自分の存在が認められないからで、逆に「ありがとうといわれるときに充実感や働きがいを感じる」というのも、「あなたに感謝している」と存在を認められているからといえますし、それが楽しくて仕事をしているというのも、この欲求を満たそうとして働いているといえるのではないでしょうか?

この欲求の次に優位になるのが自己実現欲求ですね。これはよくいわれるところの「自分らしく働く」「仕事を通じて自己実現を図る」ということでもあります。ほかの人が何というかというのはあまり関係なくて、自分としてどうなりたいか、どう働いていたかということになります。

昨日の「心のノート」。この自己実現欲求を満たそうとする働くということよりも、帰属欲求や承認欲求を満たそうとする働くということを推奨しているように読み取れます。それはそれでよろしいのですけれども、マズローは自己実現欲求をほかの欲求と区分していて、その他の欲求が不足しているものを補おうとする欠乏欲求であるのに対して、この欲求はより成長し、より高い価値を創造したいというものとしています。この欲求を満たそうとする人、自己実現的人間になることが個人が成長した姿と考えられていて、その観点から見ると、心のノートの記述というのは、自己実現的人間であることよりも”社会的欲求”的人間であることを奨励しているように見えるんですねぇ。

かつて書いたことがあるかもしれませんが、自己実現というのはそう簡単なことではありません。「30歳後半なんだけれども、もうやろうと思ったことは実現してしまって」というのを時折耳にしますが、自己実現と目標達成とを混同しているのではないか知らんと思えます。マズローにいわせれば、実現しようと思った自己が現実のものとなる頃には、もっとこうなりたいという理想の像が表れてくるわけで、「自己実現しちゃいました」という方は、それは「あるべき自分の喪失状態」といえるのではないでしょうか?(中には、「それって承認欲求が満たされて満足しているだけなんじゃないの」という方もいらっしゃいましたけど。ありたい自分というのではなく、「このように評価されたい自分」が実現できたというだけ)

ありたい自分というのは達成しようと思っても次から次へと高次になっていきますので、いつまでたってもきりがない。きりがないけれどもそれを目指そうとするわけです(その意味では、エンドレス・・・ちょっと大変かもしれない。それが基本的な欲求として人間の中に内在しているのであれば、ある意味では人間の悲しい本性(さが)といえるかも。積極的に捉えれば、それが進歩を生んだのですけれどね)。社会的欲求を満たすための「働く」ということになると、こうした面での成長感に結びつかないような気がします。

ただですねぇ、マズローが自己実現を果たしたと考える人たちへの調査を通じて分析した、自己実現的人間の特長の一つに、人類全般に対する同一視や同情、愛情を持っていることがあります。世界の中の自分、自分と世界とのつながり感覚といったらよいのでしょうか。自己実現とは単に「自己」のことだけでなく共同体感覚の中での自分の有り様を指しているような感じです。という意味であれば、心のノートにある「世の中の役に立つ」ということも一理あると思うわけです。

昨日から今日にかけて、こんなことを考えていたのでありました。

« 「心のノート」にみる働くということ | トップページ | 教育の費用対効果 »

働くということ」カテゴリの記事

お勧めHP

お勧めBlog

InBook