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2006年12月11日 (月)

冷たいかもしれないけど・・・

Working Poor いくら働いても生活が楽にならない人々・・・最近、さらに聞くようになりましたね。

働いても全然楽にならないじゃん、という感じは、会社で仕事をしている人も、フリーで仕事している人も、何度も何度も思ったことではないでしょうか? 私も、何度思ったことか。この仕事が終わったらちょっとは楽になるかな、新人さんが入ってくれたらちょっとはやってもらえるかな・・・そうした期待はほとんど裏切られて、仕事はますます増える一方・・・うわぁ~もうやってられん。と何度思ったことか。

Working Poorはそれとは違って、生活水準が良くならないということ。昨日もテレビで取り上げられました。それをみると、う~ん、大変そうだぁ・・・と思う一方で、違和感はあるんですねぇ・・・。

その一つを本日(2006年12月11日)のほぼ日刊イトイ新聞の「今日のだーりん」が言い当ててくれました。http://www.1101.com/home.html さすが、イトイ先生。先生と呼ばせていただきたいです。このコラム、残らないので、転用させていただくと、

『銀河鉄道999』で有名な松本零士先生の、
その前の時代のヒット作は、
『少年マガジン』で連載されていた
『男おいどん』という物語でした。
これが、四畳半の押し入れにキノコが生えてるような
生活をしてる主人公で、たぶん、
松本先生自身のデフォルメされた青春の物語でしょう。
ぼくも、「これはオレだ」と思いながら読んでました。

日曜の夜にテレビを見てたら、
ニートの人たちの「しょうもない生活」を中継してまして、
その画面のなかに見えていたのは、
まさしく「オレのいた部屋」でありました。
よく考えてみたら、ぼく自身が大学を1年で中退して、
なにをしていいかわからず、なにもしてなかったわけです。
それ、いまで言う「ニート」だったんじゃん!
いっぱいいましたよ、そういうやつ。

それを、「格差社会のなかで下」だとかは、
ぜんぜん思ってなかったなぁ。
なんだかいろんな人たちが、
由々しき問題だとか言ってるけど、
昔のほうがもっと「由々しき人々」いっぱいいたよ。
ほとんどのマンガ雑誌なんて、そういう人たちの
吹きだまりみたいなものだったですよ。
唐十郎さんの「状況劇場」にしたって、
寺山修司さんの「天井桟敷」、家出少年の集団でしょう。
新宿駅のあたりにぶらぶらしてる「フーテン」という
地場ヒッピーだって、いっぱいいましたよ。

たぶん、「そのころのフーテンのほうが根性あった」とか、
誰かが言うんだろうと思うけど、そんなこと、ないない!
おんなじですよ、いまの就職してない人たちと。
大人たちも、偉そうに「世も末だな」とか、
簡単に言うもんじゃないですよね。

そ、そうなんです。大変だぁ、とは思う反面、昔だって今以上に格差はあったし、そのことを持ってすぐに「下」であると決めつけてしまうのはどうか? と思うのです。

そういう状態から脱出したいと思っている人には支援をする必要があるでしょう。

しかしそうしたこととはべつに、そうした生き方をしているということを指して「下」というのは、なんだか自分たちを、無意識のうちに相対的な「上」に位置づけようとしているようにも感じてしまうんです。

いつでも、誰でもやり直せる社会にしておくという前提を持った上で、でも自分がそうした生き方を選んだのならそれはそれで尊重するし、そのことを本人が不満足に思うなら、他者のことをうらやむ前にやり直すということについては真剣に取り組むことが求められるだろうし、また社会はそれは可能にしておくべきだと思うのです。

さらにそうした生き方の違いが人間の上下ではないということを確認しておきたいと思うのです。

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コメント

おののさん、またやってまいりました~!
今回も読ませていただいて、膝をたたいて「その通り!」といいたくなりました(笑)。
結局私たちは(あえて「私」も入れてみました)、階層社会を作りたいのかもしれません。その方が落ち着くから。

でも、きっと戦後は今言われているところの「下流」の人たちがいても気にならなかったのでしょうね。自分のことで一生懸命にならざるをえなかったのではないか、なんて思います。

他者を見る余裕ができたら、自分の立ち位置が不安になった。だから「下」を作りたい…。そんな感じでしょうか。寂しいですねぇ。

家にキノコは生えませんが、貧乏自慢だけはたくさんできます(笑)。つい最近の話として!! 結構イイネタができたものだと、本人はすこぶる満足をしています。私にとってどん底の生活をしたからこそ、いろんなものが見えてきたようにも思えます。

下流といわれようがなんと言われようが、自分で選んだ生き方だったら、堂々と生きてたいな、って思います。

熊楠子さんのご指摘の通りかもしれませんです。
いつかは自分もそうなってしまうのではないかというおそれを抱きながら、そうはなりたくないと相対化しているのではないかという感じもします。
そういう生き方を選んだということは前提としたいし、選んだとしても(選ばざるを得なかったとしても)いつでも方向変換が出来るチャンスを保証しておくことは重要だし、それが社会システムの側の責任であるようにも思います。
「いつでも、どこでも、誰でもが学べ、やり直しが出来る社会」(「キャリアの再チャレンジ」木村周、ブレーン出版)これが大切です。

<そうした生き方をしているということを指して「下」というのは、なんだか自分たちを、無意識のうちに相対的な「上」に位置づけようとしている・・・

香山リカ著「〈私〉の愛国心」に相手をバカにして自分を偉いと思う人のことが書いてありましたが、同じ原理な気がします。

私も、そういう生き方を自主的に選んだというのであれば、それは尊重されるべきだと思います。まあ、そういう人は、他人が下にみても、ちっとも動じないかもしれませんけど。たとえ自ずから望んだことであったとしても、方向転換したくなった時には、それが出来る道(たとえどんなに細くても)がどこかには、あってほしいと思います。

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