内的キャリアにこの一冊!

  • 横山哲夫・今野能志ほか: キャリア開発/キャリア・カウンセリング
    キャリアって何? というところから、キャリア開発の目的、組織でどう展開するか、さらにはキャリア・カウンセリングの進め方まで取り上げたもの。人事、キャリア・カウンセラー必携、お買い得。
  • 小野田 博之: 自分のキャリアを自分で考えるワークブック
    就活前の自己分析や、働き出したあともキャリアの節目でどうぞ。自分のことは自分で知ろう!
  • 横山 哲夫: 個立の時代の人材育成
    人事担当者は必読!

Oli-Oliの記

  • 構造の美~エッフェル塔
    OLI OLI ~ ハワイではHappyという言う意味だとか。 「折々(おりおり)」に掛けてみました(おやじギャグなんだから全く・・・)。 街中、山中・・・・歩いて(食べて)気づいたこと、おもしろかったことを取り上げてみました。
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2012年4月18日 (水)

分かりやすい表現には裏がある

 ベネッセさんが解説している教育情報サイトにはいろいろな情報があって便利なのですが、直近の記事で興味深いものが。
 学習指導要領が変わって,いわゆるゆとり教育の頃に30%削減された学習内容のうち25%くらいが復活するそうです。現在を基準にすると3割以上内容が増えることになるわけですから授業時間数も増えるかというと,そうでもないとか。詳細は記事を見ていただくとして、実際に増えるのは1週間に1時間分くらい。他はどうするかというと「総合的な学習の時間」や「選択教科の時間」が減るのだそうです。この時間をどう使えるかが先生によってばらつきがあったことが、ゆとり教育がうまくいかなかった原因の一つと指摘する声もあるわけですから、少なくなるのはやむを得ないことなのかもしれません。使い方によっては、キャリアを考えるための基本的な力、というか考え方を身につける良い時間だと思うのですが・・。

 ところで留意しておかなければならないのは、「ゆとり教育」だとか、逆に今回のように内容が増えたということについて、印象だけで物事を判断してしまわないようにしなければならないということです。最近も、新入社員について「ゆとり世代だから」とか「平成うまれだから」とかといった表現が多用されていました。世代制が全くないとはいいませんが、そうしてざっくり括って分かりやすく提示されたものをそのまま受け取ってしまうことで、受け手である私たちは送り手が削り取ってしまった部分に気づかずにいてしまいます。その削り取られた部分に重要なデータが隠されていることは少なくありません。
 送り手は分かりやすくするために、都合のわるい現象、情報を敢えて秘匿してしまいます。それは悪意のあるものもありますが、分かりやすい方がいいだろうという善意のこともあります(むしろ大きなお世話なのですが)。
 たとえばゆとり世代は円周率を「3」で習っているといいますが、そういう人は実は本当に少ない模様です。確認したわけではないので、言い切れないのですが。正確に言うと「3」で教え「ても」よい、ということだったので、3.14をそのまま使い続けている学校も多かったようです。
 ゆとり世代=円周率が3、とばかりに思い込んで新入社員に「君たちは円周率3だったんでしょ」なんていうと、かえって「この人達は何も分かっていない」とあきれられることになりかねませんね。分かりやすい話、おもしろい話には、伝わっていない部分がある、と思っていた方がよいようです。

2012年4月16日 (月)

キャリア開発の底に流れるもの

人事に関わる人であれば多分読んでいるであろう「労政時報」。よい資料ですよね。
第3819号(4月13日発行)はキャリア開発推進事例の特集です。
いわば先進事例にあたるわけでしょうから、ここに挙げられているのが一般的というわけではなく、むしろレアケースであろうということは分かるのですが、それでもここまで来たか~という感は拭えません。会社が一方的に、お為ごかしに社員のキャリア開発を考えて挙げる(本当は押しつけている)時代が長かった(むろん、考えもしなかった会社がもっと多く、その時代がもっと長かった)ことを考えると、本当に進んできたなと思います。
それぞれの会社にそれぞれの事情があり、それを反映した制度となっているのですが、ポイントの一つは「個人」にフォーカスを当てているところでしょう。まず、個人が自分のキャリアを考える必要があると。いずれの担当者も、担当になって初めて(改めて)そのことの重要性に気づいたということですから、その浸透にはまだまだ時間がかかるのでしょうけれども、それでもそうしたことが前面に打ち出され、それをサポートする施策が動いているというのは大切なことです。

ただ、よけいな心配をするならば、それでもまだ個人の自己決定性にコミットしきれていないところがある点です。
極論を言えば自分のキャリアなど考えたくないという人をどうするのか?ということでもあります。
この点についてどうしても考えさせるように仕向けるというスタンスが感じられます。でも、それって本当にそれで良いのでしょうか? 機会を提供したのに「考えたくない」という意思決定をするのであれば、それも尊重すべきではないかとも思います。そのことについての結果責任を引き受けてもらうという前提であれば、それはそれで良いのではないでしょうか?
むろん、いつでも「やっぱり考えてみます」「考えた結果こうしたいと思います」ということにはいつでも応じるのです。そういう対応はするとしても、考えないということも尊重してあげたいようにおもうのです。

2012年2月14日 (火)

自信がつくということ~ある青年のこと

8年くらいボランティア活動を一緒にしている彼は今30代。年齢を聞いたこともありますが、私がすぐに忘れてしまうのではっきりしたことは分かりません。

先日、一緒に活動した帰り道、ふと違和感を感じました。どこか今までと違った感じがします。どこだろうと思っていると話し方でした。一応私の方が年上でしたから、今までは多少間違ってはいるものの敬語、特に丁寧語が使われていました。
「~と思うんです」「~したらどうでしょうか」のような。
ところがこの日は「~と思うんだよ」「~したらどうかな」といった、タメ言葉とはいわないまでもかなりざっくばらんな物言いでした。

彼と最初に出会ったのは、このNPO活動を始めた頃でした。活動内容に関心があるので、是非あって話をしたいというメールをもらい、住んでいるところがたまたまそれほど遠くではなかったので、とある駅近くのスタバで待ち合わせをすることにしました。
ところが、待ち合わせ時間になってもいっこうに現れません。
今ほどモバイル機器が潤沢ではなかったので携帯電話、しかもe-Mailはあまり使えないものしかなく、そもそも彼の連絡先をメモしていなかったので、待つしかありません。さらに初対面ですから、もしかしたらもう来ているのかもしれないと思い、落ち着かない時間を1時間くらいはすごしたころ、ようやく内気そうな青年が疲れ果てた様子でやってきました。

彼の話では、家を出るときに財布を忘れてしまったとのこと。どうやって来たのかいろいろ説明している様子なのですが、何を言っているのか、ぼそぼそと話すし、説明の順序も行ったり来たりでよく分かりません。
とりあえず本題に移って、NPOでやろうとしていることを説明したところ、まさに我が意を得たりという感じで、自分の考えを、そしてそう思うに至ったいきさつを自分の生い立ちを含めて説明してくれました。そうして一通り話し終わると、納得したようすで帰って行きました。
「なんだっただろう・・・。何がしたかったのだろう・・・」というのがそのときの印象です。

その後、NPO活動に参加するようになりました。
当初は必ずと言っていいほど遅刻をしていました。
NPO活動の内容は学生、若年社会人の支援なのですが、むしろ彼の方が支援を受けるべきではないか?と思うときもありました。学生の話に彼自身が元気づけられたりして・・・。
活動内容について話し合うときも、あまり自分から話すこともなく、また話し始めると結局何が言いたかったのか、自分でも分からない・・ということもありました。

ところがいつ頃からでしょうか?彼に変化が見られます。
それまではよれっとしたシャツにくたくたの綿パンといった、服装にはあまり気を遣っていないというよりはむしろ、だらしないに近い格好だったのが、素敵な帽子をかぶってくるようになりました。それも毎回同じではなく、ちょっとずつ変わっていたりするのです。
どうもつきあっている人がいるらしい、という話を聞いたのはそれからしばらくしてからのこと。お互いに相手を尊重し合っている様子が彼の話からも伺えました。
職場での話も時々出てくるようになりました。もともと初めて勤めた会社でうまくいかず、メンタルな問題を抱え離職に至ったといういきさつがあります。それがこの職場では、自分が少なからず役立っているという実感があったようです。いわゆる正規雇用ではなく、週のうち何日か働く雇用形態で、契約期間も1年ごとと不安定なもののようでしたが、気に入っている様子でした。ある種、自分の居場所という感じがしているのではないでしょうか。

そしてここ数年はボランティア活動の中でも主要な部分を分担するようになり、先日はその成果を多くの人のまで発表する機会も得ました。その様子を見に行きましたが、初めてスタバで会ったときとは別人でした。
堂々とした、とはいきませんが、質問にも丁寧に答え、なによりも会場の雰囲気がとても暖かな感じになっていたのが印象的でした。

そうして先日のタメ言葉には彼の自立を感じたのです。一人前の社会人として。
これからも彼はきっと成長していくことと思います。どのように変わっていくのでしょうか?
とても楽しみです。

2011年12月 8日 (木)

柏レイソル勝利!あーよかった!恥ずかしい試合にならなくて……。こんな大舞台慣れてないですよ…

2011年12月 7日 (水)

日頃の行いとサッカーと

ビッグコミックオリジナルに連載中の「育てる力」というコラム。
スポーツを通して「育てる」を考えるコラムなのだそうで、今月は先月に引き続き流通経済大学サッカー部監督の中野雄二さん。監督でありその寮の(全寮制なのだそうな)寮長である方。これが面白いです!
寮内での普段の生活はサッカーでのプレーにも通じるとか。

たとえばいつもぼ~っとテレビを観ながら朝食をっている子はピッチでもぼ~っとしたプレーをするし、寮にきたお客さんにしっかりと挨拶する子は気が利いたプレーをする。

そこのテーブルを拭いておいて!と頼むと、本当にそこしかふかなくて周りのテーブルが汚れていても見て見ぬふり(気がついていないのかも?)。注意しても「ここを拭けといわれただけだから」と答えるような選手が、ピッチに立ったからといって急に仲間やチームのためにプレーできるとは思えない。

人はピッチに立ったからといって変わるものではない。その人の考え方、日ごとの行動がプレーに出る。ブラジル人はブラジル人らしい、スペイン人はスペイン人らしいサッカーをするでしょ。

なるほどねぇ。
中野監督の良いところは、だから最近の若い人たちはだめだと言うのではなく、だからこそ日常生活からきちんとやっていこうではないかと考え、それを自ら実践しているところ。
彼らには可能性はあるわけですからね。その時点でできていないからといって切り捨ててしまわない。成長を信じていると。

才能を開花させようとするから、子どもがわがままになる。人間として成長していけば、才能は自然と開化するものなんです。

もう一つこれは!と思うのが

例えば1+1は世界中の誰に聞いても2です。でも答えが2になる計算は無数にある。何が正しいか、どれが自分に合うか、選手が自分で考え自分なりの答えを出せばいいんです。

1+1は2ではなくて、3にも4にもなるんです、というフレーズは良く聞いていたのですが、2になる計算は無数にあるというのは、今さらながらなるほど、と。そこに一人一人の違いが発揮されるというわけですねぇ。

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